第77回 相手の言葉がその人自身
出会いは自分を映す鏡だ。さきほど、相手のよいところをどんどん見つけて話していくというワークをやったが、そのときに、相手に見られるすばらしいところは、すべて自分のすばらしいことだということに気がついたのではないだろうか?
逆に相手の悪い点を探して、相手にいうという方法もある。私はあえて相手の悪いところをみる必要はないと思うので、やりたくないと思っているのだが、このようなワークになれている女性と話しをしていたら、おもしろいことを話してくれた。
彼女は相手に何をいわれてもちっともいやでもないし、腹もたたないというのである。どうしてかといえば、彼女のことをいっているようでも、それはすべてその人自身のことをいっているからだというのである。相手がいった言葉は、すべてリボンでくくって相手におかえしできる言葉でもある。
だから悪口をいわれても気にならないと涼しげにいっていた。私はまだまだ未熟者で心が動揺してしまうが、確かに相手がいうことは、その人自身だ。
人は自分の中にあるものしか見られないからだ。自分が素直でない場合は、相手の素直でない部分がとても気になる。これは反応のボタンとも似ているようだ。
だから人があなたに何かをいっても悲観するにはあたらない。もちろん、あなた自身もそれをきっかけに改めたほうがいいと思うが、その人の言葉で傷つくには及ばない。いくら辛辣なことをいわれたとしても、通常は、その人自身のことだからだ。
その人があなたの中に、その人の中にあるふさわしいこと、ふさわしくないことをいっているのだから、その人のことを知るには大いに役立つのだ。人から何かをいわれたらありがたく拝聴しよう。決しておそれることはない。
批判されたと感じたとき、それは相手が自分自身を批判しているのである。その人がそれに気がつくのを待ってあげるのだ。暖かい瞳で、優しい耳で。ただし、やはり火のないところに煙はたたない。自分も冷静になって反省してみよう。
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