第56回 父と母の対応はこんなに違った
その日は体中、特に打った足が痛くてよく眠れなかったが、翌日になると、大雨の音で目が覚めた。外を見ると、町中が茶色に見えるほどの雨。ホテルでサンダルを借りて、靴を買いにいった。靴屋さんもないような街で、小学校の運動靴を販売している店を見つけ、運動靴を買った。
ついでに落ちた川を見に行ったら、濁流がすごい勢いで流れていた。さすがに身震いした。
考えてみれば、川に落ちたときに打ち所が悪ければ、死んでいたかも知れないし、骨折でもしていれば、川からはいあがれなかったかもしれない。そう思うと、いまさらながら、自分が守られていたことに感謝し、これは亡くなったおばあちゃんたちが助けてくれたのだと思った。
東京に戻るとすぐに実家に行った。足をひきずっている私をみて両親は驚いた。私は「おばあちゃんのおかげよ!」といって事件の一部始終を話し、仏壇の前でおばあちゃんに感謝した。
母は一緒に喜んで、本当によかった。大事に至らないで、これもおばあちゃんのおかげねと喜んでくれたのだが、父は真っ青になって何もいわなかった。
後日談がある、それから1週間、毎日のように、父は、「まったく、あんなことがあっから、ずっと食欲がない」と母にこぼしたらしい。そして本当に食べられなくて、ぐんと痩せてしまった。
これを聞いたときに、父が心配をしてくれているのをありがたく思ったが、しかし、私のほうは現実に助かり、亡くなったおばあちゃんやおじいちゃんにもお礼をいって、すっかり元気になって仕事をしているのである。
こうして、ありがたいと喜んでいる母や私とは裏腹に、1週間、ずっと心配して食事も食べられなかったという父があまりの対照的なので、母と二人であきれてしまった。確かに心配してくれるのはありがたいことだが、しかし助かったのだから、心配を感謝に変えたら、どんなに快適な1週間だったろう。
おなじことを聞いてもとらえ方がこれだけ違う。できれば楽天的なとらえ方、聴き方をしたほうが、人生を楽しめる。
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