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「いった」「いわない」の議論はなぜ起るか?

 
 

第52回 第4のパート:意識のありかたでこんなに違う
「いった」「いわない」の議論はなぜ起るか?

 

 職場や家庭では、「いった」「いわない」の議論がよく起きる。なぜそのようなことが起きるのか? 

 人は自分の都合の良いことだけを聞いているからなのだ。おなじことを聞いても、その人の感性や意識、関心の持ち方で、全く違う聴き方をしてしまうことがある。

 だから双方ともこれが正しいと思いこんでいる。両者が本当にそう思っているから、議論が起こるわけで、そこには二つの真実があるように思う。誰もが自分の尺度の範囲で、自分の都合の良いように解釈する。お互いにそう思っているのだから、いった、いわないの議論になる。

 耳が遠くて話しをしてもよく聞こえないおばあちゃん。しかし、彼女に関係することをいうと、敏感にキャッチする。

 自分に関心があることだけは、雑音の中でも敏感にキャッチできる。みんなで雑談していても、自分がほかの人と話をしているときにさえ、ほかのところで自分の関心のある話をしていたら、それをキャッチし、目の前の人の話を聞いているふりをして、その後ろにいる人の話に耳をそばだてる。

 もちろん聖徳太子のように一度に多くの人の声を聞くことができる人もいるかもしれないが、通常は自分の関心事に意識が集中すれば、後の話しはないがしろになってしまう。しかも自分に都合の良いように解釈する。
聞くチカラ
 これは視覚でもおなじことが起きる。例えば、植物にとても関心があれば、道ばたの植物をつぶさに観察して歩くものだ。

 そのような時は、どの路地にどのような植物があるとか、こんなところに、こんな植物が咲いていると、感動の連続である。

 しかし多忙になり、仕事のことばかりを考えて町を歩いているときは植物など目に入りもしない。知らないうちに春が来て、夏が来て、もう1年が終わってしまったということにもなりかねない。

 自分の関心のありかたがどこにあるかによって、情報は入り方が異なってくる。
 おなじことが起きても、意識のあり方によって、一人一人の体験は異なる。ひとつの本を読んで読後感想を述べあったりすれば、みんなが全く違うとらえ方をしていたので驚くだろう。
 おなじものを読んでも、聞いても、体験しても、みんな異なった感覚で読み、聞き、見、体験しているのであるから、それを共有するのはなかなか難しい。




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