第43回 感動力を培うこと
話している人は、聞き手の反応を見るものだ。聞き手がおもしろそうに聞いていれば、どんどん話しがはずんでいくが、つまらなそうに聞いていたら、すぐに話しは終わってしまう。これはワークでも体験していただいたので、よくわかると思う。
そこで聞き手になったときには、相手を勇気づけるために、すべての時間と空間を相手に捧げる覚悟で相手の話にエネルギーを集中することが大切だ。
それが相手にもよく伝わるように、表情やジェスチャーを少しオーバーにして、相づちをうったり、相手の話を促すことだ。
その際に注意することは、本心からやるということだ。うそでやっていたら、自分でも疲れてしまうし、相手にも必ず伝わって、しらけてしまう。しかし本当に感動すれば、自分でも疲れないどころか、ますますパワーがチャージされる。相手も本心から感動してくれることを知って、とても喜んでくれるものだ。
だから感動の種を探すことだ。どのような話しにも必ず感動の種はひそんでいる。どのような人の生き方にも感動することがたくさんある。
「たいした人生を送っていないから」なんていっている人ほど、その人の人生には感動の種がいっぱい蒔かれている。それを探して、楽しむのだ。水を与え、太陽の光のさんさんと当たる場所に植え替えて、発芽させ、花を咲かせ,実を結ばせるのだ。現代の花咲おじさん、おばさんになるのである。
講演などで話をするとき、仏頂面で腕を組み、半分眠っているような姿で聞いてくださる方がいる。つまらないのかなあ? なにか文句があるのかな? などと気にしながら話をするのだが、後になって、質問の時など、とてもすばらしい感想をいってくれたりしてびっくりすることがある。それならば、もっと同調してくれれば、もっと、もっと話したいのにと思ったりする。
一方、前のほうで、目を輝かせて、いうことすべてに大きくうなづき、下手な冗談にも反応して大きく笑ってくれたりする人がいると、本当にうれしくなって調子に乗り、いろいろな話をしてしまったりする。話す側から見れば、どの人の態度もよく見えるものだ。
話の上手な人は、聞き上手でもある。というのも、講演の上手な方は、聞き手のプロでもあるからだ。上手に聞けると、話し方も上手になる。聞きながら、きちんと話し方を学んでいるからである。聞くことと話すことは表裏一体でもある。
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