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第26回 自分が悪口をいわねば相手もいっていないと信じられる

 

 子供の頃、両親とともに祖父母、叔父や叔母がともに住んでおり、隣には親戚もいたという大家族の中で暮らしていた。
 
 このような大家族の中で子供、特に女の子の地位というのは非常に低いものがあった。弟などはまだ男の子だから多めに見られることも、私は女の子だから、階級的に低いのであると私は思っていた。
聞くチカラ 悪口
 そして祖母をはじめとして、両親はもちろん、叔父や叔母によく怒られた。もっとも今、考えてみれば、とても愛されて育っていたので、彼らが叱ったというのは、愛情からくるものだったのだろうが、当時の私はとても傷つきやすい心をもっていて、ちょっとしたことでも傷ついてめそめそしていた。だから何かいったら叱られるとか、怒られたらどうしようと、いつもいいわけを考えているようなところがあった。その癖は長い間、続いて、今もたまに、そのような不安感や恐怖心に襲われることがある。

 また小学校の高学年の担当の先生が超スパルタ教育の先生で、どの子でも容赦なくピンタをしたり、おしりを竹刀でいやというほど叩いたりするような先生だった。

 私は内気な故に、学校では目立たないようにして、あまり怒られなかったが、あるとき、おなじグループの人が宿題をさぼったか、掃除をさぼったかで、「連帯責任」と称し、そのグループの人すべてが横に並んでピンタをされたことがあった。

 親にもぶたれたことがないのに、初めてぶたれたときは、目から星が出る思いがした。今、思えば、おなじグループの生徒を4,5人思い切り殴った先生の手もかなり痛かったのではないかと思われる。しかし、そのときは、やはり先生が怖かった。

このような環境に育ったこともあったのか、天性のものかわからないが、私はどちらかというと愚痴っぽい子供だったようで、友達に正々堂々と自分の意見をいうことができないから、悪口などをいうことも多かった。

しかも「あの人、いい人なんだけどね~」という枕詞をつけて自分を正当化した上で悪口をいうのである。だから人も当然悪口をいっていると思っていた。

ところがあるとき、笑顔共和国の福田純子さんの取材をしたことがある。彼女の周辺は明るく笑顔にあふれていた。そしてその中でとてもよい気持ちで、彼女のオフィスを去ったとき、「あ、あの人たちは私の悪口をいっていない!」と確信できた。
そのとき、確信したのは、相手が悪口をいっているかどうかが問題ではなく、自分が悪口をいわないかどうかが問題なのだということだった。自分が悪口をいわなければ、この世から悪口はなくなってしまうのだ。問題は相手ではなく、自分の信じる力なのである。




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